穂高、安曇野へ
2010年 08月 29日前日は、穂高温泉宿に泊まり、朝7時ごろ起きた。寝具の掛けふとんが暑くて、夜中に起きてしまい、よく眠れなかった。朝食をすませ、8時50分ごろに宿を出る。
今日は、碌山美術館と安曇野ジャンセン美術館、それから大王わさび田農場へ行く予定だ。
まず、車で碌山美術館へ。夫は、若いころに来たことがあり、小さな美術館だったという。今は、近くにりっぱな駐車場もあり、美術館の建物も、碌山館、杜江館、第一展示室、第二展示室、グズベリーハウスとなっている。
一番手前の碌山館は、教会風の建物なので、シンボルマークだ。中は、こじんまりとしているが、やはり、雰囲気がいい。そこに、碌山の作品が並んでいると、とてもマッチしている感じがする。
作品は、とても、力強い感じがした。あの時代にロダンの弟子になったというのも、すごいなと思った。ただ、31歳で亡くなり、とても残念だと思った。生きていたら、どんな風に作品が変わっていったのかと思うと。
ほかの館の展示は、おもに、彼とゆかりの同じ時代の人たちの作品だった。私は、あまり、詳しくないので、なんともいえないが、やはり、彼から影響を受けている感じがした。パン屋の「中村屋」との親交も面白かった。
ここで、一時間ぐらいゆっくりと、作品を鑑賞できたのは、幸いであった。庭がいい。木陰と建物がいい雰囲気を作りだしている。庭にも、いくつかの作品が置かれていて、それも、風景に溶け込んでいた。平日で、人が少なかったので、そういう時間をもてたのは、とてもラッキーだった。
このあと、安曇野ジャンセン美術館へ。林の中に、洒落た建物があり、それが美術館とカフェ。ただし、カフェは、お休み。
ジャンセンは、フランスとアルメニアの両国の国家勲章を受けた巨匠とのことだが、今回は、ガイドブックではじめて知った。
印象に残ったのは、ピエロや踊り子の絵だ。一般の生活者というよりも、サーカスのような生活をする人々の絵が多かった。
展示室の中で、座ってゆっくりと、絵を眺めていると、ふしぎに世界に入った感じがする。
美術館そのものも、とても洒落ていて、それだけで、来たかいがあったと思った。
このあと、私は、三回目、夫は、初めての大王わさび田農場へ向かう。
私は、学生のころと、30代のころにここへ来ている。
はじめてのころは、小さな農場で、まわりは、田んぼだけ。そこに、そのわさび田農場があった。あまり、奥までは、入れなくて、入口近くをすこし見て回り、道祖神や小川の写真をとり、わさびソフトクリームを食べたのを覚えている。
二度目は、市の国際交流ツアーで利賀村へいって、その帰りに寄った。そのときは、もう、観光農場になっていて、駐車場も整備されていた。ただ、時間がなかったので、ゆっくり中を観て回ることもなく、ちょっと写真をとり、またわさびソフトクリームを食べただけだった。そのときは、あの清流の川がそのままでよかったなと思ったのを覚えている。
今回は、さらに、おおきな観光施設に変身していた。駐車場もマンモス。そして、清流では、タフボート遊びが行われていた。
さらに、農園の中も、建物が増え、わさび田をまわって、見られるような歩道も整備されていた。
四面大王の祠まであり、みんなが中で手をあわせていた。(私もやったけど。)
幸い、あの道祖神は、まだあったし、清流もあったけど、この先、どうなるのかなと思った。昔の静かな農場がなつかしい。
夫が念願のわさびソフトクリームを食べ、私も、思い出のソフトクリームを食べた。「すこし、量が少なくなったかな」と内心を思いながら。
このあとは、信州そばを近くのそば屋でたべて、東京へ。
安曇野は、何回来ても、いいなと思った。三回とも、夏だったけど。
碌山館
大王わさび田農場
農場近くの清流
創業者の相馬夫妻と、当時の画家「中村彝(つね)」の交流を思い出しました。 若い頃絵が好きでしたので、中村彝の絵画にも興味がありましたので、とても懐かしい気持ちになりました。