「阿弥陀仏」なのか「南無阿弥陀仏」なのか

  「鹿鼎記」の中で、少林寺のお坊さんが、「阿弥陀仏」と唱えているシーンがよくある。

  確かに、何度聞いても、中国語では、「阿弥陀仏」としか聞こえない。
  でも、翻訳した内容は「南無阿弥陀仏」となっている。

  つまらないことかもしれないが、気になっている。

  というのも、今、東京新聞の連載で、「親鸞」(五木寛之著)が掲載されていて、毎日読んでいて、その中でもね念仏について書かれているからだ。
  なぜ「南無」というのかとか。これは、阿弥陀仏への語りかけらしい。私は、ここにおります。「南無阿弥陀仏」というのは、阿弥陀様たいして、ひたすらその慈悲をいただくという謙虚な姿勢をあらわす言葉とのことだ。
(うまく、私も表現できないが)

  だから、このドラマに中で、単に「阿弥陀仏」と唱えていても、べつに間違いではない。
  むしろ、中国の坊さんたちのその言葉と、信者の念仏とは違うものかもしれないのだ。
  
  私の耳が悪いのかと、なんども、耳をすませて聞いたが、「南無」はないように聞こえた。
  まぁ、翻訳だから、わかりやすく「南無阿弥陀仏」と訳したのだろうけど。

  実際のところは、どうなのかは、知らないが、仏の道と、武術というのは、ドラマをみていてもわかるが、矛盾しているように思った。

  さて、いよいよ明の皇帝の公主が登場だ。(九難さん)
  それにして、小宝は、世渡りがうますぎる。
by keika-ch32 | 2009-04-24 14:54 | エッセイ

中国語のことや、旅日記、もろもろの感想など


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