今日は、11月にしては、暖かいが、これからだんだんと冷えてくる。
気功も、健美操も、この時期から、乾燥に注意する他に、冷えにも備えるためのものになる。
冷えは、免疫機能を衰えさせるので、腎臓などの泌尿器系に注意しなければならないという。
そのため、特に腎と膀胱の経絡を意識した気功や健美操を行う。
いままでは、あまり気にしていなかったのだが、いろいろと本を読み、積極的に自分でも意識するようになった。
普段も、風呂に入っているときにも、それらの経絡をすこし思い出して、さすったりする。それだけでも、ずいぶん違うらしい。
食事にしても、冬のこの時期は、いろいろな冬野菜や魚介類、果物がいいらしい。
れんこん、サトイモ、えのきだけ、鮭、さつまいも、白菜、ブリ、みかん、りんご。
以前は、自分の好みだけで野菜をえらんでいたが、季節ごとに、すこしずつ、体にいいものも、意識して、とるようになった。
免疫力を意識すると、「冷え」については、意識をするようになる。
風邪をひかないコツは、栄養と休養というが、「冷え」には、無頓着すぎるときがあるなと思った。
運動しているときは、いいが、たとえば、パソコンをしているときなど、じっとしているときは、危ない。まだまだ大丈夫と思っているうちに、体温が下がり、免疫力がおちる。
まちがった「過信」は、風邪のもとだと思っている。この冬は、特に、気をつけないと。
この二つの言葉は、似ているが、「医食同源」は日本人が造語した言葉だ。
たまたま、「21世紀の医食同源」新居裕久著という本を読んでいたら、この言葉を造った人だった。
この言葉の定義は、「薬(生薬)も食も同じ源、日常の食事で病気を予防、治療しよう。その食事はバランスのとれたおいしい食事である。」
ここでいうバランスとは、西洋医学でいわれる栄養バランスと、中国伝統医学でいう陰陽五行説に基づいたバランスである。
一方、「薬食同源」のほうは、中国に古くからある薬食同源思想「食物は飢えたときとれば食であり、病のときにとれば薬である」という考え方。
最近、薬膳についての本も読んでいるが、この二つの違いがわからないと、混乱することがある。
この本は、写真入りで、料理も紹介されていて、とても読みやすい。
いろいろと、参考にもなるし、手軽に作れる料理もけっこうあった。
私は、さきに「食育」ついて、通信講座で学び、栄養のバランスについては、けっこう頭に入ったが、ほかの本を読んでいくうちに、これに東洋医学の知識がないと、半端になるような気がした。
それで、今は、薬膳の本や、東洋医学の本も、読んでいる。
気功をやっいて、それらが、ほんとうにひとつになって、はじめて、自分の体のバランスが保てるのだと思った。
誰でもそうだが、年をとると、病気でないとしろ、「未病」の状態になることがあると思う。
よく知るということは、とても大切だと思った。
気功のほうは、五禽戯「虎」の次に、「鹿」の形も習っている。
手の形は、中指と薬指を中におり、鹿の角をイメージしている。
これが、意外ときついのだ。
全体の動作は、左右に足を前にだして、体を横にひねる。または、腕を合わせて、前に出し、体のほうは、後ろに引っ張る感じの動作。
ただ、これに、「鹿」の形の手で行うと、腕がひねられ、経絡を刺激するのか、汗が出てくる。
こんなに簡単の動きなのに、すごいなと毎回思う。
気功も、いろいろと教わり、最近は、経絡のほうも意識するようになった。
それぞれの経絡は、それぞれの臓器と関係しているので、そこを刺激することで、偏りをなくし、気血の通りを正常にもどす。
いままで、太極拳をやっていたが、経絡のことをあまり意識していなかった。
気功をやるようになり、それを意識できるようになったのは、すごい意識の変化だと思う。
健康でいるためには、体の表面だけでなく、中まで意識しないとだめなんだなとつくづく感じている。
あまり、期待もせずに、番組を途中からみていたが、お茶屋さんに入り、そこの家のお母さんの葬儀があるというのに、普段どおりに店をあけていて驚いた。
考えてみると、私は、小学校に上がる前に、日本にきたので、向こうの冠婚葬祭は、知らないのだ。
葬儀の仕方も、まったく違っていて、はじめて見た。
それでも、見ているうちに、台湾の人たちの生きざまが伝わり、いろいろと思いだすことも多かった。
また、後半は、おじいさんが、製糖工場のあとを案内して、戦争のころの話をしていたが、それも、知らなかった。そういう話も、実際に地元に住んでいなかったら、知らないのかもしれない。
そういう意味で、ほかの番組でも、よく台湾の食べ歩きのようなものがあるが、今回の番組は、意味深いと思う。
台湾の人は、夫婦でも、財布は二つ。だから、お茶屋さんの奥さんに、店をまかせておけば、ほかの人にとられないという旦那の話もよくわかる。女性も、自分の財産をもたないと、生きがいがなくなるのだろう。
なんとなく、わかるような気がする。
長い物語だったが、この作者のいままでの作品と比較しながら、十分に楽しめた。
最後のところで、皇帝(小玄子)と小宝(小桂子)との心の会話があったが、とても印象的だった。
この世の中、まじめで正直者がかならずしも、報われるわけではない。
また、権力のあるところには、かならず、不正はつきもの。
皇帝は、自分の周りの者も、本当に信用のおけるものは、なかなかいないと知っている。それゆえに、嘘もつくし、悪さもするが、それでも、義理がたいところのある小宝のほうが、信じられる。
だから、いろんなことがあっても、彼を許してきた。
小宝は、皇帝側につくか、その敵対側につくかと、いつも板ばさみになってきた。
どちらも、適当に折り合えばいいのにと思っていた。
だが、どちらも、彼には、そうさせてくれない。
だから、彼は、両方から姿を消す。
島での生活で、隠遁しているのは、とても退屈で、耐えられないと、いったんは、皇帝のそばにもどったが、やはり、彼は、隠遁することにしたのだ。
この作家の最後の作品だけに、その人の人生観のようなものを感じる。
ふつうの人間は、こういう数奇な人生は経験しないだろうが、それでも、考えさせられることが多かった。

